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2014年01月19日

失ったものは・・・?

「経済」という言葉を使ったキャッチコピーがあって、少しだけ元の言葉を知っている自分としてはすごく違和感があったので今日は「言葉」などのお話です。

経済って知ってますよね?

普通に知ってって使ってる、という声が聞こえてきそうです。

では経済という言葉になる前の段階は?

? 聞いたことない。という人がほとんどでしょう。
自分が知ったのも比較的最近のことなので、えばれる話でもないのですが。

答えは経世済民(、または経国済民)の略だとのことです。

ふーん、それで?という話がでそうなので意味を続けます。
経世済民-世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。経国済民。[広辞苑第六版]

ぎょっとしませんか?現代の経済の概念に上記の意味の抜けていることに。
そして昔はこのような認識があったことに。

(ちなみに経済で見ると経国済民との関連が出てきます。そして、経国済民の説明は記載されていません。)

面白い人もいるかもしれないけどもまあ偶然でしょ?たしかに偶然かもしれません。
偶然ではなさそうな例を学研のくずし字辞典からいくつかピックアップさせていただきます。

いかさま-どのよう。どのくらい。どれほど。
いちみ-同じ目的を持つ者の集団。
いっき-同じ目的に対して心を一つにすること。
おとな-宮座の主催者。同一グループの指導者。一族の長、家長。(略)
しぜん-当然
ぜひ-是と非。道理のよしあし、判断、致し方。
だいもく-主旨、趣旨、用件。
だんごう-話し合い、相談。
だんな-財物を布施する仏教信者。(略)
ていたらく-態度、状態、様子。
としより-中世以来、一つの社会的集団の指導者。(略)
ひゃくしょう-本来は一般庶民、公民、のち農民を指す呼称に転化。

もともとは一般的な言葉がずいぶん悪いイメージで定着している例として見てとれます。

自分としては日本語の前に英語をやっている場合ではない、
また読んでいる人が何教でも自由としても、
宗(むね)の教えが日本で教える、伝える機会が失われているな、とは感じます。
(まあ、震災を機に何かに気付き、何かを始めた日本人も多いと思いますが。)

日本人は平和を希求する、という意味の言葉が使われますが、
ミラクルピースの時代(江戸時代のこと。そう呼ばれていることもあまり知らないですよね。)
は、まず学ぶことも(そのまま適用できないにしても)意義があると思います。

江戸時代に学んでいたのは主に藩校と寺子屋、藩校では四書五経を学んでいき、
寺子屋では実語教・童子教・各種往来物などを主にお坊さんから学んでいたようですね。

言葉とともに心、教え、偉人伝、文化、文明が失われていったら・・・。
他の国と変わらない普通の国が現れるのかもしれません。
自分が変われていないので言う資格がないかもしれませんが、
変われる人から変わってほしいような気がしています。

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