2013年04月25日
「聖徳太子はいなかった」という説に関し
聖徳太子は実在しなかったという説が
テレビや一部教科書で出ているもよう。
自分は確かにいらしたのだろうな、と思います。
必死に捏造だとする人たちがいるならなおさら。
「証拠は?」「それ自体が捏造だろ?」みたいな声も
聞こえてきそうな気がするのですが、
今、手元に3冊の本があるんですよ。
岩波文庫「勝鬘経義疏」と「法華義疏」上下巻。
「しょうまきょうぎしょ」と「ほっけぎしょ」と読むようです。
次は「聞いたことないんですけど」という声が
聞こえてきそうですが、自分も図書館から借りたもので
聞いたことがなかったものでした。
(図書館でも書庫に眠っていた本でしたし。)
「で、それが何?」となりそうなところなので、
法華義疏の表紙から引用させていただきますと、
---聖徳太子(574-622)は深く仏教に帰依し、
その弘布に力を尽くした。そうした事業の一環として
「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」すなわち
「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の
注釈執筆のことがあった。---
のようです。
さらに法華義疏には聖徳太子自筆の
書の写真があったりします。
自分では、いた・いなかったの証明などまで
できるはずもないのですが、
みんながいなかったといっているから
いなかったんじゃないの?という結論に
すぐになってしまうには早いと思いますし、
自分が反証する!という方に対しては
参考になる書物なのではとも思います。
いままでも時々みかけた話なのですが、
誰々はいなかった!のような論調の本は
いくつかあった気がします。
抹殺考証の学というらしく、
うかつにその論調に乗っかると、
けっこう時代が経つにつれ、
ひどいことになってくるような気が
しないでもない今日この頃です。
テレビや一部教科書で出ているもよう。
自分は確かにいらしたのだろうな、と思います。
必死に捏造だとする人たちがいるならなおさら。
「証拠は?」「それ自体が捏造だろ?」みたいな声も
聞こえてきそうな気がするのですが、
今、手元に3冊の本があるんですよ。
岩波文庫「勝鬘経義疏」と「法華義疏」上下巻。
「しょうまきょうぎしょ」と「ほっけぎしょ」と読むようです。
次は「聞いたことないんですけど」という声が
聞こえてきそうですが、自分も図書館から借りたもので
聞いたことがなかったものでした。
(図書館でも書庫に眠っていた本でしたし。)
「で、それが何?」となりそうなところなので、
法華義疏の表紙から引用させていただきますと、
---聖徳太子(574-622)は深く仏教に帰依し、
その弘布に力を尽くした。そうした事業の一環として
「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」すなわち
「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の
注釈執筆のことがあった。---
のようです。
さらに法華義疏には聖徳太子自筆の
書の写真があったりします。
自分では、いた・いなかったの証明などまで
できるはずもないのですが、
みんながいなかったといっているから
いなかったんじゃないの?という結論に
すぐになってしまうには早いと思いますし、
自分が反証する!という方に対しては
参考になる書物なのではとも思います。
いままでも時々みかけた話なのですが、
誰々はいなかった!のような論調の本は
いくつかあった気がします。
抹殺考証の学というらしく、
うかつにその論調に乗っかると、
けっこう時代が経つにつれ、
ひどいことになってくるような気が
しないでもない今日この頃です。
今後現れる可能性のある宇宙人
言葉遊び、回文作成の勧め(回文の作り方も少し)
それは阿る(おもねる)というのだ
仏教は古臭い迷信か?
「宇宙には奇跡的なことがある。」または「宇宙人はいる。」。
宇宙人はいない?
言葉遊び、回文作成の勧め(回文の作り方も少し)
それは阿る(おもねる)というのだ
仏教は古臭い迷信か?
「宇宙には奇跡的なことがある。」または「宇宙人はいる。」。
宇宙人はいない?
Posted by kodama at 13:40│Comments(0)
│半分真面目(半分優しさ?)
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